もう6月10日です。早いですね。本当に。
1週間の中でお休みDAYがなくなって、多少慣れてくるかなーと思いきや、なんか時間があるとグタっとなって過ごしてしまいます・・・。
ブログにあれ書こうこれ書こうとか、これちょっと感動したなー的なものがあったんだけど、時間が過ぎちゃうとそのときのリアルな感情がわかんなくなっちゃうんだよね・・・。
部屋の大掃除もしたいなーと思いつつだけど、それもいまいち出来ないまま・・・・。
余った時間で衣装探したり、絵を描いたり本読んだりは相変わらずしています。
実録者やドキュメンタリーなんかも読んでますが、重いものだと気持ちも滅入っちゃうけどねw
さ
て
前前々回くらいにHIPHOPというもののジレンマ的なことを書いたのだけど、
この辺で少しHIPHOPのことを書いてみようかなーなんて思います。
あまり長くなるとってのもあるし、HIPHOPを語るにあたってめっちゃ色んな人の名前が出てくると、混乱するのであくまでダンサー目線の生徒とかにも解るよう、なるべくわかりやすく・・・!とは思いますが、俺の解釈でなんとなく進んでいきます。
すごーく色々調べると、HIPHOPの始祖は自分だと言う人が沢山いるようなので、あくまで一般的な知識ですが・・・。
HIPHOPは
ニューヨークの
ブロンクス地区で生まれたと一般的に言われてます。
ディスコミュージックが流行っていた当時、HIPHOPってのは無くて、ゲットーな地区である
ブロンクスではギャングカルチャーが蔓延していた。
その背景もやっぱり元々黒人は奴隷だった時代から開放されても、人種差別という過酷な時代が長かったからで、就職はおろか経済活動、生活、教育全てにおいて差別を受けていて、それが特に根強く残るのがこの地区だったようです。
(ちなみに話が飛ぶが俺がお気に入りで持っているNEWYORK BLACK YANKEESのTシャツがあるが、これも昔多くの黒人がメジャーに入れなかった時代に多くのアフリカンアメリカン等有色人種(日本人もいた)で構成されたニグロリーグというマイナーリーグのチーム名です。)
そんな状況では、無秩序になるのも当然で子供の頃から暴力、盗み、ドラッグでしか生きていく手段がない世界だったようです。こういうスラムとかの話って聞いてもいまいちピンと来ないってのが多いと思うんだけど、こういう世界を題材とした映画は結構あるので、一度見てみると多少はわかるかなーなんて思いますが、強盗、殺人当たり前の世界では自分たちが仲間とツルんで己の力を誇示しようとする流れは当たり前だったようです。
このギャングの中でひときわ力を持っていたかの有名な
アフリカバンバータ率いる
"ブラックスペイズ"と
"セブンクラウンズ"で、この2チームの抗争が過激に過激を極め、戦争さながらだったようで、
これが長期化し無意味な殺し合いに疲れてしまったギャングも増え、まず最初に女の子が疲れてしまった。とのセリフは結構どこの文献にも載っています。
それを違った方向にエネルギーを向けなければ!!と思った
アフリカバンバータが音楽の要素やダンス、グラフティに目を向けた5人のBBOYからなる"ZULU NATION"を作った。
コレが今までのギャングとは異なり暴力の変わりに音楽やダンスにエネルギーを向けた初めての組織だったようです。
やばい。ここまでですでに結構長い。
でも、この時期にブロンクスに居た3人の代表的なHIPHOP3大スターの話は外せなくて、この頃
DJクールハークという当時から人気のDJが居たのだが、ブレイクビーツ(歌詞と歌詞の曲間)でダンサーが一番もりががるのに対し、あまりに曲間が少ないので「あのイケテル時間が短すぎる!なんとか増やせないか!?」というところから2枚のレコードを使い、同じトコロを繰り返したり、スクラッチを編み出したと言われる。
そして、当時は
ブロックパーティというバスケのリンクがある広場のようなところにDJ機器を持ち込んでパーティする習慣が流行っていたのです。
このパーティ自体はギャング抗争当時からずーーーと続いていて、だんだんとDJとMCが組んでお客を盛り上げるスタイルが主流となっていく。
そこで台頭してきたのが
グランドマスターフラッシュで色んなDJやMCと組んでお客に「SAY!HO!」などと煽りつつも盛り上げるスタイルが確立していったようです。
この
アフリカバンバータ、
クールハーク、
グランドマスターフラッシュの3人のDJがブロンクスでの伝説のカリスマだったようです。
(本当はこの頃からのちに活躍する色々な人がブロンクスには居るんだけど、これ以上人が増えるとわけわかんなくなるでしょ??なので割愛します・・・。)
そしてドラム缶でスピーカーの音を増幅したり、派手なパフォーマンスでお客を盛り上げたり、アイデアを駆使して自分たちのDJプレイが一番イケてるんだぜ!!っていう戦いの毎日が始まるわけです。
とにかく、HIPHOPって悪いやつの文化って思われがちだけど、そうするしかなかった状況の中で本当の抗争から、音楽で戦いあうスタイルへ変化していった中には色んな犠牲や葛藤や苦労があったのだと思います。
そして、そういったスタイルの名残から「バトル」というスタイルがどのジャンルにも絡んでくる流れなのだと思います。
(ラップの中で相手をDISるのも、ギャング抗争からの名残だと思うので、本当の抗争をする事に比べたら犠牲を出さない中でバトルする知恵の結晶なのかもしれません。日本人には理解しにくいけど、むかしZEEBRAがドラゴンアッシュの降谷建志をDISってファンとにZEEBRAって器が小さいみたいな噂が立ったことが会ったけど、HIPHOPではよくある事なのです。)
だって、ワルしかいない地域の最大のヘッドである
バンバータが、このあと、ピースや愛をテーマにして若やつ達の目を音楽に向けさせて沢山の
HEADS(HIPHOPにハマっている人)を生み出していくんだよ?
普通の状況では考えられないよね。
もうそれだけギャング抗争での犠牲や疲弊があったのだろうなと思います。
そして、この後
シュガーヒルギャングというユニットから
ラッパーズデライトと言う、HIPHOPやってる人の中では避けては通れない伝説の曲が出現するのです。。。。
って
すっげー長くなっちゃうねww
途中でどうしようか迷ったわ。
そしてなんか情報も俺の記憶の曖昧な中なので、続けるの怖くなってきたわ。
でも、1回この辺にしといてまたちょっと書きたいときに書く事にします。
何が言いたいかっていうと、HIPHOPはあまりいいイメージが無い人も居るかもしれないけど、そういう文化の中から生み出された音楽なのです。
そしてこの音楽が今は一大勢力となって、世界を席巻しているのです。
ゲットーな地域の何も持たない人が、音楽で世界を変えれる力を持つまでの文化になっちゃってるわけです。
だから逆の意味では、最近はファッションやカルチャーとして広く受け入れられてきたHIPHOPですが、
ついこの間までは、それを真似している日本人って「黒人が好きなの?」って
不思議だったみたいだね。
恵まれている日本人がそういうものにあこがれてるっていう意味がわからなったみたいです。
おちょくっているようにも思えたみたい。
まあ、そうだよね。
ちなみにお気にの
ブラックヤンキースのTシャツも日本では着れても、さすがに俺もアメリカでは着れません・・・・・・。
なめてんのかてめえ
と言われそうで・・・。
ってなことでまたーーーー。
因みにアフリカバンバータはこのPlanet rockで有名ですね。
http://youtu.be/9lDCYjb8RHk
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